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事務課より

吉田三傑について
吉田三傑とは現在の愛媛県立吉田高等学校の前身である吉田中学校や、山下女学校の
開校に尽力した3人の偉人、清家吉次郎氏、山下亀三郎氏、村井保固氏の総称である。

 

 

清家吉次郎(1866〜1933年)
誕生日 1866年9月14日
出身地 嘉佐方村

松山尋常師範学校卒業後、大洲尋常小学校をふりだしに教壇に立つこと23年。

その後政治に関心を持ち、永年県会議員として卓越した識見を発揮する。
そして、吉田町長としてめざましい活躍をする。
1923年に旧制吉田中学校を開校。

その後、氏は衆議院議員となり、国会で「軍の横暴は日本を破滅に導く」と
陸相荒木大将にくい下がったことは有名。

 

 

山下亀三郎(1867〜1944年)
誕生日 1867年4月9日
出身地 嘉佐方村

15歳のとき、東京に出る。
苦労の末、横浜で石炭の貿易商を始める。
35歳のとき、念願の船を持ち海運業を興す。

以来、国家および公共に対する奉仕の念とともに明治・大正・昭和の3代にわたり活躍、
多くの業績を残す。

中でも、氏の大成が母堂の訓育にあることを思い
「人間をつくるには、まず母をつくれ」の趣旨から、故郷の吉田町と母堂の生地三瓶町に
女学校(山下女学校)を設立したことは、最大の業績。

 

村井保固(1854〜1936年)
誕生日 1854年9月24日
出身地 吉田藩

16歳のとき、村井家の養子に決まり、理解ある養母により学問への道が開ける。
24歳の時、慶応義塾(現慶応義塾大学)に入学、福沢諭吉の教えを受ける。
卒業後、森村市左衛門翁の経営する貿易商(後の日本陶器)に入社する。

以来、渡米90回、太平洋上にあること9年、持ち前の情熱と誠実さで活躍する。
67歳の時、養母の恩を記念するため、村井幼稚園を開設、
その後、旧制吉田中学校開校に尽力、校訓の作者。



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